株式会社AKATSUKI

【特別記事】新型コロナウィルスの脅威と中国の人々の生活【浙江省嘉兴&上海編】

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転載可能ですが作者情報を必ず記載ください。

ライター:Jenny 監修:株式会社AKATSUKI

 

中国では新型コロナウイルスによる感染症は引き続き拡大しており、現在も感染者と死亡者数が増加している一方、日本でも事態は刻一刻と深刻化しつつあるという。

筆者は上海に勤務しており、春節休みに実家(浙江省嘉兴海宁)に戻り、また現在上海に戻ってきた。

この1ヶ月間、ウイルスの脅威に晒され続けている最前線の中国市民の日常生活と筆者が感じた発生から現在までの生活変化を記録する。

一日も早い事態の終息と、日本での流行の防止を祈る。


春節前の時期(~1.23)

私が初めて武漢で変な感染病が発生したと聞いたのは12月末頃だった。周りに比べると割と早い段階で耳にしていたようだ。微信(Wechat:中国のメッセージアプリ)のグループチャットで武漢出身の親友から様子を聞いたが、この時点では政府の正式な発表はなく、まさか1カ月後に全国、全世界を巻き込むような深刻な伝染病になるとは思わなかった。


1月1日の元日に、親友数人で食事会があり、その中の一人Aさんはこれから武漢へ出張があるから不安だと言った。もう一人のBさんは湖北出身で、武漢にも知り合いがいると言う。「状況は深刻そうだよ」と、食事会で少しだけ話題にはなったが、「体が弱いのだから、ちゃんとマスクして行ってきてね」ぐらいの心配で、普通のインフルエンザだろうとみんな思っていた。


その後、12日から私が東京に、Aさんは武漢にそれぞれ出張に行った。日本のホテルでテレビをつけると新型コロナウィルスのことが日夜報道され、日本の知り合いと会う際もよく「気を付けてね」と忠告された。正直に言うと当時「日本は大げさじゃないか?」と思っていた。お土産を買う際にも、医療用のマスクではなく、多くの中国の有名人に愛用されている「Pitta Mask」(ウィルスには対応できない)ばかりを買っていた。


18日に私は中国に戻り、Aさんも武漢の出張から戻り、同じ忘年会に出席する予定だったのだが、彼女は急遽別の出張が入り、来ることが出来なくなった。年が明けてから、当時のほかの出席者から慰問の電話があり、「Aさんは来なくてよかったね。Aさんが来たら当時の出席者は全員強制隔離になるかもしれなかったから」と話した。


19日から会社に戻ったが、最初は話題にもならなかった。22、23日にほとんどの会社は早くから休暇に入ったため仕事をする気もあまり湧かず、同僚とずっとウィルスの話ばかりをしていた。マスクを爆買いする同僚に、私も煽られてTAOBAO(中国No,1シェアのオンラインモール)で3個購入した。当時はほとんどの店舗で売り切れと出ていたが、高めで買える店舗ではまだ在庫があり、私は多いかと思い直し、1個をキャンセルした。


この1週間、「史上最強」と言われていた春節に上映する7作の映画は、公開日を25日(旧暦の元日)から24日(大晦日)に急遽変更したり、変更後にまもなく公開中止と発表したりと、バタバタしており「業界の人はまた振り回されているな」と思った(通常大晦日は一家団欒で、映画館がオープンしないので、大晦日の公開に映画館のスタッフは強く抵抗し、ネットで炎上していた)。


春節中(1.23~1.31)

24日の大晦日に、私は実家である祖母の家におり家族十人で年越しを迎えた。政府から親戚で集まらないようにと、呼びかけはあったものの、厳しく規制はなかった。上海から実家のある町に帰ると、情報が流れてきていないせいか、普通の生活に戻った気がした。


中国旧暦の春節では、大晦日は実家で身内の親戚を集めて年越しをするのが一般的であり、元日から各家庭が「年酒」(新年会)という宴会を開き、他の親戚、親友またはお世話になった方々を招き、レストランや宴会場が一番賑やかになる時期なのだが、今年はすべて元日後に閉店するようにと政府に規制されたそうだ。


春節に家族全員揃って映画館に行くのが定例の行事となっていた私の家族は、新作映画がないから今年は行き甲斐がないよねと話していたら、「映画館も全部クローズしたよ」と聞いた。(春節に家庭単位で映画館に行くのが流行っており、春節期間は映画業界にとって、一番重要な時期で、興収は年度の1/6も占めている。)


26日に、地元で一番大きなデパートで働く従弟から、店が閉店したから麻雀をやろうと連絡がきた。彼はいつも元日から忙しくて碌に春節休みを取れないので、大晦日の時は「普通に開店するよ」と言っていたが、店から急に「開店できない」と連絡があったそうだ


そこで親友に家で麻雀をやろうと誘ったが、「君の小区(※1)入れるの?」と聞かれた。やがて親友の小区は在住者以外の車は入れなくなったと聞き、さらに田舎に住んでいる従弟の村も、出入りの道に村委会の検閲があり、在住者以外出入り禁止になったという。従弟が車で向かいに行ったもう一人の親戚の小区も入れず、合流するために入口のところまで歩いてきた。


【※1 中国国内の住宅は日本式の一軒家やビル1つというのが少なく、「団地」のように壁でいくつかのマンションを囲んで「小区」(中国語:ショオチュー)と呼ぶ。また、いくつかの「小区」を管理している組織を居委会と呼ぶ。日本の町内会と似ているが、自治組織ではなく、国が管轄する最も基礎的な地方公務員。日常の近所トラブル解決、イベント開催、在住表の発行まで行っている。】


翌日の27日、私の住む小区も出入口を一つだけ残して、他は全て閉鎖された。物業(※2)から出入りする車の登録が必要との連絡を受け証明書を発行してもらった。さらに、在住者以外は出入り禁止の通知も出ており、各住民にそれぞれ武漢の人との接触有無を確認し、出入り口で熱を測るボランティアもいる。母親が美容室を経営しているが、工商管理局(自営業を管理する部署)から開店禁止という連絡があった。


【※2 「小区」には「物業」という管理会社があり、清掃、警備、修理依頼、エリア内の駐車場や会館なども運営しており、日本の管理会社より管理範囲が広い。】


気がつくと家の野菜などの食材が切れそうになっていた。ネットでは買い占めの情報が多く流れて、私も心配になり、デパートは店舗が全て閉店だが、スーパーならばオープンしていると従弟から聞き、買い出しに行った。スーパーはオープンしているものの、一日の内12~17時しかオープンしない。いつも空き場がなく埋まっている駐車場はガラガラで、ほとんど人がいなかった。ネットでは食べ物が売り切れている写真が出回っていたが、実家の方では感染者がまだ出ていないので、食糧は買い占められず、逆にお客さんが少ないせいで賞味期限切れ寸前の割引ものがたくさんあった。町を通る時、ほとんどの店が閉待っていて、唯一オープンしていたのは果物屋さんとスタバだった。


28日、同じ美容室を経営している母の友人は店にいたところ、巡察しているボランティアに捕まり、店に封印紙を貼られ、開店可能な案内が出るまでに封印紙が破られたら、罰金があると言われたそうだ。


この間に、Aさんと連絡を取ったところ、彼女は自宅に自主隔離しており、実家には帰らずに緊急でスケジュールを変更したという。武漢に滞在した記録が残っていたので、公安から連絡があり、状況を確認されたようだ。


春節中(2.1~2.9)

最初、政府から春節は3日まで伸ばすと発表され、その後9日までに変更、合計9日間も伸ばすと発表された。中国では、都会で自宅マンションなどを買っても、春節になると実家に帰るのが伝統なので、ほとんどのサラリーマンとOLは「春運ラッシュ」で往復する。3日からガラガラの都会に帰る人が続出するが、「小区」に入れないという声がネットで聞こえるようになった。


最初に村など小さいところから封鎖が始まったが、4日からは杭州も封鎖すると発表した。封鎖というのは家に帰れないのではなく、他の地域から帰ってくる人は必ず小区に報告し、アプリで情報(出発地、交通手段、武漢に滞在する人との接触有無など)を登録しなければならない。具体的な「移動者」の管理がすべて小区に任せることになるので、小区によっては管理の厳しさが変わることもある。自宅マンションなら入れてくれるが、賃貸の住民を入れてくれないというところもあった。政府からは帰る際は必ず小区と連絡を取り、入れるかどうかを確認するようにと呼びかけが行われた。基本的に、すべての小区で、武漢、温州などの感染者が多いところからくる人は14日間の隔離の必要があり、外に出ないように見張るためのボランティアがついたりもする。


6日に、大家さんから、ルームメイトが温州から帰ってきたため、小区に14日間の自宅隔離が要求されたと連絡がきた。私の地元は感染者が少ないので、帰っても隔離が不要と言われたが、念のため1週間はホテルに泊まると決めた。


会社に3日までには上海に戻り、自宅勤務と要求されたが、実家は上海近辺ということもあり、9日まで実家で自宅勤務をしていた。上海のすべての駅と空港で感染者が発見されていたので、皆交通手段に不安を持ち、私は最初から車で帰ると決めていた(普段は電車の方が便利なので、いつもは電車を利用していた)。


春節前に購入した2つのマスクは、1個は届いたが、もう一つの発送地は武漢だったため「徴収」され、発送できないという。春節中にTAOBAOで購入したいくつかのマスクも、品物が切れたので発送できないと連絡がきた。


春節中には、まだ注文自体は出来ていたが、その後に確認すると商品ページすらなくなっていた。


春節明け(2.10~)

10日の朝、私は車で2時間かけて上海へと戻った。高速の入口に「よく考えなさい。一度出て、帰ると14(赤字)日間の隔離だ!」という看板があった。私の地元はどこから帰ってきたかを問わず、外から町に入ってくる人は全員自宅で14日間隔離と決めたらしい。


高速の出口に検閲場があるため、結構並ぶかと思い早めに出たのだが、まさかのほとんど車がなく、スムーズに帰ることができた。ホテルでは、通常なら年が明けてからは人がいっぱいなのだが、今年は全然こないので、今週は半額だよと言われた。


会社に戻ってみると、大半のメンバーはいたが、何人かは来ていなかった。交通手段がすべて止まっており、上海に戻れないとか、上海には戻ったが、小区に自宅隔離を要求されたなど、状況は人それぞれだった。電車で通勤する同僚に聞いたところ、いつも満員の電車はガラガラで、逆に安心したという。


国内営業の同僚は1日中クライアントへ慰問の連絡を取っていたが、うちの会社は全国で業界唯一通勤している会社だと聞いた。大連にいるクライアントは会社に戻って1日だけ勤務したが、物業に追い出され、翌日から自宅勤務しかできないそうだ。


私が勤務していた映像業界、IT業界、コンテンツ業界の知り合いに聞くと、「え?通勤しているのは君の会社しかないよ」と、びっくりするほど、北京、上海、杭州にある会社は全て自主休暇や在宅勤務で対応していた。


私がクライアントに送金をしようとすると、経理に銀行が休んでいるからできないよと言われた。銀行で働く親友は3日間通勤したが、その後在宅勤務となり、一日一人が銀行へ通勤すると決まったという。


杭州は「段階復帰策」を取り、1~3級の緊急レベルによって分けられ、1週間ずつで復帰することになるという。10日復帰の審査に3万社もの申請が集まったが、許可が下りたのは100社ほどであった。また、杭州市民も、アプリで3段階に分けられ、いる段階によって行動の自由が決められるそうだ。つまり、「14日間隔離」か、「7日間隔離」か、「自由に出られる」かということ。


14日には、上海も封鎖を始め、ニュースによると当日車で来た8000人も「勸返」(帰るのを勧めたという)したそうだ。上海に住む場所と会社がない人は入ってこられないというのだ。また自宅マンションでも、小区に入れてくれないニュースもあったりする。上海にいる親友の小区は、たとえホテルに泊まっても、小区に帰る際は14日の隔離が必要だという。交通も、住宅も、厳しくなる一方で、私は早くもホテルをキャンセルして、上海の家に戻った(バタバタしている内にいつの間にか帰れなくなることを心配したからだ)。


16日に、まだ復帰していない知り合いに聞いたが、ほとんどの人はいつ復帰できるかはわからず、会社からの連絡待ちだという。


湖北出身のBさんは、上海に戻る飛行機のチケットは3月末までだということで、勤務先から「急いで帰らなくていいよ」と言われたという。


中国の事情は日本でも紹介されているが、恐らくほんの一部の声しか届いていないのだろう。私と現在日本にいる中国人の知り合い、かつて日本に留学していた知り合いなど、私の周囲ではみんな日本のことを心配している。現在の日本のニュースを見ると、1ヶ月前の何も気にしていない自分たちと似ているように思えてしまうからだ。新型コロナウィルスが広がるのはほんの一瞬のことだ。


去年中国で流行ったリュウ・ジキン原作の映画『流転の地球 (さまよえる地球)』のセリフを借りるとするならば、「最初は、誰もこの災に気にしなかった。ただ一つの火事、ひとつの干ばつ、一つの動物が消えた、一つの都会が消えた。この災は私たちに関わるまで。」


日本でも事態が早く終息するように祈り、東京オリンピックの開催を楽しみにしている。


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